名付けるという行為は、新しい命を与えることである。すなわち「意味」と言う名の命。子供が生まれたら、いろんな思いをこめて名前を付ける。宗派によっては洗礼名までつける。本人には名前があるのに「あだ名」をつけたりする。東アフリカで発見された原人の骨にルーシーと名づけている。学問上の仮説にもガイヤだのフレイヤだの古代の神の名前を借りたりしている。1ヵ月程度の寿命のハリケーンにも人名をつける今、当然、軍艦や宇宙船にも名前をつける。日本人は工作機械にまで人名をつけてクセの違いを明確化しようとする。便宜上の区別のためというより、もっと強い理由があるみたいだ。こうなれば名付けは、願いや祈りにも似た宗教的行為だ。毎日何回も言葉に出し又それを耳にすれば、無意識の領域に沈着する。それらの無意識が何を結果するかは想像ができない。不気味だと感じてしまうのは私一人だけだろうか?