誰にでも当てはまる言葉は、倫理的な規範であり一般に受け入れやすいので、占いを求める者は、一旦は受け入れ自分の特殊性を埋没させる。やがて、そこに自分を投影して、占いが語るキーワードから自分の物語を作る。そしてこの物語の視点から現実を見るように認識を再構成する。だから占いはあたる。ある事の形容が著者のややマニアックな知識の披露をしながら賑やかに会話調で表現されている占いのマニアル本があるそうな・・・古舘伊知郎のプロレス中継といった感じである。宗教や科学を語るには軽すぎるが、占いというカスミのような文化現象を掬い捕るには案外、この軽さは合っているのかもしれない。とは言え、占いの原理・方法及び歴史的背景・展開をまったく考慮しないで書いているのがこのコラムだ。だからこんなモンだろうなぁ。