· 

脳耕作業

それは「毎日、字を書いて考える」という習慣である。「毎日、字を書いて考える」方がアイデアを搾り出すより、ネットワーク形成の効果は大きいそうな。「毎日、字を書いて考える」ことをやろうとすると早い話、日記になる。日記を書くことが脳耕作業である。と一人合点した。脳耕作業の理論から、「毎日、字を書いて考える」には3つの要素がある。毎日・字を書く・考える。である。考えることは誰でもする。しかし毎日となると難しい。ツイ忘れて…が日常化すると<考えていない>ことになるが、<考えていた>との差が分かりにくい。そのときは証拠が物、それが文字である。また、手を使って書くことも意味がある。脳の言語野より広い領域を使って脳作業をするからである。脳は物理的には柔らかいが、実は大変硬い。いい加減に使うと生命の危機に至るので間違わないよう余り自由にネットワークを変えることはしない。ただ言語野などのシンボル操作に関わる部分は自由度が高い。とは言え、外国語学習を考えてみると分かるように自由自在というわけではなく、毎日少しづつ耕して行くしかないのである。こうして毎日何か考える習慣をつけるのであるが、何を考えるのか? それは個人の自由である。個々の人生において価値あると考えるもの、時間を忘れさせてくれるものに、時間を費やせばよいわけで、抽象的な論議が好きなら、時間とは何か、価値とは何か、考えるとは何か、を考えればよいし、金儲けのアイデアを練っても良いだろう。ただ、脳耕作業の理論では答は出ている。人間はシンボル操作をするために生まれてきたようなものだから、考えている(フリ)だけで人生を正しく過ごしており、それで十分幸せなのだ-という結論である。こうして脳のネットワークが広がってゆく。しかし人生には誘惑が多いし外部からの刺激が多い。視神経を発達させたおかげでシンボル操作ができるわけで、刺激応答をしやすいという性質が人間の基底にある。この刺激応答の蓄積を人生であると勘違いしやすいのである。生きるための刺激応答を効率よくこなして最小限にとどめ、考えることに多くの時間を割くことが正しい人生であるように、脳耕作業もがんばろう。