寝っころがってウトウトしていて寝返りをしたとたん、記憶再生のスイッチが入った。これがズイブン昔の肉体感覚と同じで、寝返りするための筋肉の動き、重心が移動して行く感覚、体重を肩腰背中が受け止める圧迫感。これらがデジャブーのようだ。生活の表面に見える現象は環境により変わるが、生活パターンや志向は変わらない。その事に突然気づく。記憶再生のトリガーは感覚の玉手箱だ。味・香り・光・影・色・音・声・肌触り・圧力・加速度感・筋肉の疲労感・思考・etcこれらが組み合わさった時、特に心地よかったり、特に苦痛だったりする。その時の状況が記憶として残り、似た感覚を経験すると思い出す。それが突然に起こるからキショイ。突然の気づきが盛大に起これば「啓示」となる。中規模に起これば、ソクラテスや宮沢賢治の「立ち尽くす癖」であろう。小さければ、個人の思い過ごしになるだろう。訓練して意識的に行えば、「覚醒」になる。この気づきの広さ深さの差がどこから来るかは分らない。本人に役立つものかどうかもハッキリはしない。「気づき」って事は面白そうな課題である。地球規模に広がった視線を、心の内へと向かわせる時が来たのかもしれない。これも「寝返り」の一種なのか??。