数学や科学で一つの結論へ至るのに、考え方・価値観・信念・イデオロギー等は一致しないことがある。社会の客観的真理たるものが、そこにある。だいたい「客観的真理」自体が怪しい。私的には作られた虚像だ。例えば、窓から友人に向かって手を振ると、友人を見る目と同時に、頭の中に「私を見る友人の目」が生まれる。これが巨大化したものが「客観」であると思う。これを外して正直に世の中を見れば、案外、異なった信念の持ち主同士が歩み寄れる。多様性を相互に認め合って平和に暮らせる気がする。この「自分の中に生まれた他者の目を棚上げにして意識上の在りのままを捉える方法」を物の見方の基本にすべきだ。当然、科学の世界だって「客観」を抜きで考えないと「物の見方の基本」にならない。「ことば」と「身体」をどう見てゆくべきかを論じていると、ハッキリ言って、通勤読書ではチトきついものがある。梅雨の高温多湿の朝は特に・・・