梅雨明けの季節を前にして私は憂鬱な日々を過ごしている。知人の死を聞いて、何だろうと思う時が増えた。その知人は昨年の定期健診で癌が発覚。優秀で懸命に仕事をこなすため、きっと本人は大きなストレスでも溜め込んでいたんだろう。癌化した細胞は誰でも抱えているもので、健全なら免疫の力で封じ込めておくことができるのに、そうできなくさせる生活環境がある。それが仕事です。生き家族を生かすための仕事が、時として生を奪うものへ転化する。この折り合いを付けて行くが、仕事に重きを置くのか、生へ重きをおくのか? 私は仕事は手段だと見て、生に重点を置く。とは言え、何も残さずに死ぬことも快くは思わない。彼が何を求めたのか、何を考えて耐えていたのか、もう聞くことはできない。「須臾なるを知る」