私はこのコラムがあるので「毎日、字を書いて考える」という作業をして、アイデアを搾り出しこれを持続している。すると日記になる。これは3つの要素から成り立っている。毎日・字を書く・考える・である。考えることは誰でもするが、これが毎日となると難しい。ツイ忘れて…が日常化すると<考えていない>ことになるが、<考えていた>との差が分かりにくい。その時の証拠が文字として残っている。こうして毎日何かを考えたり、書いたりする習慣をつけるのであるが、何を考え、何を書くのか? それは個人の自由である。個々の人生において価値あると考えるもの、時間を忘れさせてくれるものに、時間を費やせばいいし、抽象的な論議が好きなら、時間とは何か、価値とは何か、考えるとは何か?でもよいと思う。金儲けのアイデアを練っても良いだろう。ただ、考えている(フリ)だけの時もあるし、それで十分だという結論の時もある。外部からの刺激も多いから、人間の視神経も発達した為、刺激に応答しやすいという性質が基底にある。私の場合、この刺激応答の蓄積が自分自身であると勘違いしていた。生きるための刺激応答を効率よくこなし最小限にとどめ、考える事に多くの時間を割くことが出来れば、私のこの「チャラい」キャラも取れるのだろう。