· 

風呂

このコラムを書くことで、人との係り合いの中で、何かが生まれたり、物事に整理がついたり、相手の気持ちが変わったりする事を期待しているのだが、私と言う人間の中身が空っぽのためか、何も生じてない気がする。どうも、最近は「心」というものがフワフワ浮遊していて、定まらない。「不安」との共存を五木寛之は著書で書いているが、確かに自分にはある部分、共存する力がなく、逃避しているようだ。リアルタイムで時間に追われる様に仕事をこなしてると、時々、人ごみ・雑踏・知人と話す事・家族と話す事さえ苦痛に思えてくる事もある。苦しみから逃げるように、何かに没頭できればいいのだが、私の場合そんな甘えは通用しない。現実逃避は何もプラスにならない。そんな時、自分の人生と自分の本性が、他人の洋服を着ているような、妙な違和感がそこにある。迷い・悩み・苦難・混沌としたそんな中で、生きているようだ。今日の夜も更け、明日もまたトンネルの中を歩き続けるように生きていく。それだけでも、結構な力が要る。精神的に病んだ時は、何も考えず風呂でも入りますか~